金曜ねむれば土曜日がくる
昔の私の話をします。
私が初めて関ジャニ∞のコンサートに行ったのは、元気が出るLIVE!!でした。このライブに行きたいと思ったのは、すばるさんと村上さんの「渇いた花」が聞きたかったからです。当時はまだファンクラブに入っていなかったし、そもそもファンクラブに入らないとチケットが取れないことも知らなくて、もうライブが始まっていた12月に唐突に行きたい!と思ってから調べては諦めようとしてを繰り返していました。
諦めようと思った理由は3つあるのですが、まず「なんか楽しんだらいけない気がする」という躊躇い。
なんじゃそら!と思われるかもしれないですが、私はこの年の夏に仕事を退職してもう本当に落ち込んでいて、何かを思い切り楽しむこと、が誰に対してかわからないけど物凄く申し訳なくて、友達から「せっかく時間があるから」と山積みで送られてきた関ジャニ∞のライブDVDもぜんぜん観ることができなかったくらいの状態でした。いや関パニは観たけど……(元気そう)
そして2つ目が「私がジャニーズのコンサートに行っていいのか?」という謎の葛藤。
当時は関ジャニ∞のライブDVDとかも持ってないし、そもそもまだ知識もぜんぜんなくて、自分のイメージする「ジャニーズのコンサートに行く人」とかけ離れていたから、本当に行ってもいいのか?と葛藤していました。
この文章を読んでくださってるあなたはジャニオタ歴が長いでしょうか?テレビは好きですか?もしジャニオタ歴が長かったり、テレビが好きだったりする方にはぜんぜん想像つかないと思うんですけど、私はジャニーズどころかテレビもぜんぜん観ない人だったんです。朝のニュースと映画とたまにバラエティくらい。
くわえて顔と名前が覚えるのが苦手で友達からテレビの話題は何も通じないレベル。関ジャニ∞のことだってもちろんぜんぜん知らなくて、かろうじて亮ちゃんのことだけ知ってたけど普通に俳優さんだと思ってた。亮ちゃんって顔と名前の一致度が凄くて最高だと思う。
さらには、私はめちゃくちゃ出不精で、自分から特別な場所に行くことってなかった。趣味はあっても、家の中でも十分満足出来ていた。
たとえば邦ロックのライブに誘われて行ったことはあって、行ったらもちろん楽しいんだけど、CDを聞くだけで満足できたので、自分で日程調べてチケットをとって行くって考えられなかった。
だから、3年くらい前の自分にジャニーズを好きになるんだよコンサートに行くんだよって絶対信じないと思うなあ。人生って何があるかわからなくて面白いね。
最後の理由が、「ジャニーズのコンサートってめちゃくちゃ敷居が高そう」ってことです。
当時はジャニーズが好きな人、コンサートに行く人、というのが私の中で物凄く強くて怖い存在だったんですよね。「フリがわからなかったら怒られたりするのかな(??)」とか「ウチワを持たない者はどうなるのか(??)」とか意味のわからないことで怯えていました。
諦めようとした理由はグタグダこんなにあるのだけど、諦められなかった理由はシンプルで私が松原.をめちゃくちゃ好きだったからというのと、自信を完璧に失ったこのときに何か新しいことが出来たら、新しい自信になって、ここから変わってゆけるんじゃないかなって思ったから。実際にそうだったよ!あの時の僕よこの声が届くかい~~!!!!!
まあそんなわけで、元気が出るライブに行こうと決めて、チケットを譲ってもらうためにヨコヒナの入所日に今使っているツイッターアカウントを作りました。
譲ってもらうからには怪しい者じゃない、ファンっぽいツイッターにしなければ、しかしジャニーズのファンっぽいツイッターとは…?とうんうん悩みながら、とりあえずテレビのことを呟いていればリアルタイムでテレビを見ている証明になりそれなり信頼を獲得できるだろうと考えてテレビを見た感想を呟いていました。改めて思うとなんか犯罪者のアリバイづくりみたいでウケますね。
突然の「定価での取引は考えてないんですけど」とか謎の「2.0から」といった文言に苦しめられながらも優しい方に譲っていただけることになって、無事に元気が出るLIVEに入れることになりました。
しかし私はめちゃくちゃ疑り深くて、悪そうなやつは大体友達のノリでネットでのやりとりは大体詐欺だと思っているので、誰にもチケット譲ってもらえたとか言わずに身も心も一人で京セラドームに行きました。
グッズ売り場に適当に乗り込んだら物凄い人が並んでいて絶対私のグッズないわ!と思ったけどあったのでジャニーズは資源が豊富なんだなと思いました(?)
タンバリン型のペンライトを手に持ち「こ、これがジャニーズのライブ……意味がわからない」と恐れおののきましたがジャニーズだからじゃなくて関ジャニ∞さん特有の意味がわからなさであると今は気づいています。すっかりびびってしまったので景気づけにといきなりステーキをいきなり食べて気合を入れたら胃がもたれました。
そして渇いた花を見ました。
最初の理由で書いたとおり、このときの私は楽しむのが下手くそで、しっかり楽しむことができなかった。それがとても悔しかった。だけど、本当に行ってよかったと思っています。とてもいいライブだったし、ホール内に気球が飛んでるのみたとき本気でビビった。このときは十分に楽しむことはできなかったけど、次のエイタメに行ったときはもっと楽しめたし、その次のジャムに行ったときはもっともっと楽しめた。
インスタントラーメンなみの手軽さですぐ自信を失う私の中に、「私はあのときめちゃくちゃ頑張って、大好きな松原.の歌を聞くためにこのライブに行った」という揺るぎない事実が残ったことはとても大きかった。
いやなんかもう、伝わるかな?!言葉を尽くしているつもりなんですけど、ぜんぜん伝えきれてる気がしない!私にとってこのライブに行ったことは、ナントカ革命くらいに凄いことだったんですよ!凄いんだよ!私の中のいろんな価値観が変わっていった!銀テープなんか何に使うんだよって思ってたのに今大事に日記に張ってる!好きなものがたくさん増えたし、友達も出来たし、新しいことを山程やれるようになった!
いつもの私の話をします。
私は関ジャニ∞の全員が好きなんですけど、今みたいにライブとかいわゆる「現場」に行くようになれたのは、他ならぬ松原.のおかげだと思ってます。
松原.の中で、というか関ジャニ∞さんの中でいっとう好きなエピソードがあって、それがウインクキラーの罰ゲームで、すばるさんからひなちゃんに読んだラブレターです。
私、関ジャニ∞を好きになってこれを読んだときに、本当に感動したんですよね。もう、愛しかないじゃないですか。初めて読んだときの私の中には、いまほど松原.のエピソードも関ジャニ∞がジュニアからやってきて云々の経緯も蓄積されていなかったし、もっといえばこれが罰ゲームのアドリブでってことも知らなくて、それでも雷に打たれたみたいに、いやそんな痛いものじゃないな、なんだろう、めちゃくちゃ風が吹いて花びらがぶわーってなって前が見えなくなったみたいに、ビックリしたんです。
一番好きな部分を引用します。
電車で仕事に通ってたときによく駅で待ち合わせして毎日のように一緒に通ってたのを思い出します。一緒に電車に乗って、周りにいるおもろいオッサンを見つけては2人でくすくす笑って。
そのおっさんのモノマネを僕がすると君は嬉しそうに笑って、くれるので、僕も調子乗って誰もわからないモノマネを君のためだけにいつもやってたのを思い出します。
この言葉の後、「チャリに乗りながら花火をしていたらハゲのオッサンに怒鳴られた」という話になるんですけど、アドリブで何もない中からヒナちゃんとの想い出を探したときに、「チャリに乗りながら花火をしていたらハゲのオッサンに怒鳴られた」という具体的なエピソードじゃなくて、このなんでもない日々の情景を最初に切り取って差し出してきたすばるさんは、本当にそのときのことが大切で、美しい想い出になっているんだなと感じて。
すばるさんの「君は嬉しそうに笑ってくれるので、僕も調子乗って誰もわからないモノマネを君のためだけにいつもやってた」が、村上さんの視点からすると「すばるは俺のツボ!笑かしてくれる!」であることが、なんて素敵な関係なんだろうっていつも思っています。
今の私の話をします。
4月15日の11時、すばるさんが退所するということを聞いたときに真っ先に「私って何もわかってなかったんだな」と思いました。
私は常々、「そもそも友達はおろか親兄弟ですら何を考えているなんかわからないわけで、1ミリの接点もないアイドルが何を考えているかなんてわかるはずがないからこそ、自分が関ジャニ∞を楽に好きでいられる捉え方をしよう」と思っていて、これからもこのスタンスは続けていこうと思っています。
ただ、「関ジャニ∞を続ける」という部分に関しては治外法権というか、片時も疑ったことすらなかったところだった。
すばるさんが関ジャニ∞でずっと居たい、イヤなことや辛いことがあっても関ジャニ∞でこのことは「普通」の話だと思ってた。上手くいえないけど、私の深読みなんかじゃなくて、それだけは真実だって思ってた。
私は俗にいうフラフラ期を経験してなくて、それでもすばるさんが、アイドルと歌を追い求める人という狭間で揺れているのはなんとなく知っていました。
愚鈍な感受性をしているのですばるさんが歌っているところをみてアイドルに苦しんでいるという感想を抱くこともついぞ無かったのだけど、最近のすばるさんを見て、前とは違うなというのは感じていて、でもそれは、アイドルの自分と歌を追い求める自分が同一になったからなんだって思ってしまっていた。
関ジャムやジャムでさまざまなアーティストと触れ合う機会があり、メトロックなど今までにない場に出たことで、むしろこれからどんどん関ジャニ∞はすばるさんの歌への想いが昇華できるようになっていくグループになっていくのだと、だからすばるさんも苦しくなくなったんだと信じきっていた。
それが、違ったんだと思ったとき、なぜかめちゃくちゃ申し訳なくなった。別に謝ることなんてないのに、なにも知らないでたくさん楽しくさせてもらって幸せにさせてもらっていた自分の浅はかさが申し訳なくなった。だって本当に一ミリも気づいてなかったし、それどころかまったく逆のことを思っていたから。
このことがあってから、いろんな意見を見ては自分のことのように感じてしまうので、どれが自分の本当に思っていることかわからなくなる。誰かの意見を借りてみることも大事だけど、自分が思っていることでしか本当には悲しめないと思うから、めちゃくちゃしんどいながらもこんな風に文章を書いている。
私は悲しむのがあまり上手くないと思う。なにせ現実逃避が上手すぎる。たぶん現実逃避の神とかいたらスカウトされると思う。でも、今回のことは、ちゃんと悲しみたいって思った。めっちゃしんどいんだけど。でもそうしたい。それくらいに七人の関ジャニ∞が好きだ。こんなに好きなんて知らなかった。悲しいけど、昨日より今日のほうがもっともっと好きなんだよねえ。
色んなことを思っているんだけど、なによりしんどいのは記者会見のすばるさんを始めとする関ジャニ∞が、私の好きな関ジャニ∞とぜんぜん変わらなかったこと。
さっきいってた「何もわかってなかった」と矛盾するようだけどぜんぜんしてなくて、それが一番に苦しい。私の好きなすばるさんは、私の好きなすばるさんのままで関ジャニ∞を、ジャニーズ事務所を脱退するといい、私の好きな関ジャニ∞は私の好きな関ジャニ∞のままでそのことについてコメントした。
すばるさんがメンバーに引き止めれても聞かないことは、ものすごくすばるさんらしいと思ってしまった。そしてそれを泣きながら苦しみながら嫌がりながらちっとも嫌いになれない関ジャニ∞がものすごく関ジャニ∞らしいと思った。
「日本でそれはできないのか」「一年の留学にすれば」「メンバーの人生にも関わる」
私が考えたすばるさんを責めうる理由はすべてメンバー自身が行っていた。
どこかひとつでもほころびがあればそれを理由に悲しんだり怒ったり恨んだりできたものを、なにひとつ関ジャニ∞らしさが損なわれないままだった。
メンバーがメンバーのことを大好きで、だからってゆるゆるの甘えを許すわけでもなく、だけどどこまでも優しい。完璧だった。完璧な関ジャニ∞だった。むしろ会見を見て前よりもっと好きになっちゃったよ。
だから、私はもう悲しんで悲しんで受け入れる以外やることがないんだけど、それがどうしても出来る気がしない。
もおなんだよ異例のメンバー同席の脱退会見って。そんな異例ある?そんなところで愛を溢れさせないでほしいよ。どうやったらそんな人たちを嫌いになれるんだよお。
音楽ってなんなんだろう?ってずっと考えている。
タンス職人が音楽をしたいからタンス職人を辞めるのはわかるんだけど、音楽をしている関ジャニ∞を辞めて追いかける音楽ってなんなんだろう?音楽って国境を超えるんじゃなかったっけ?
でもどんな音楽家に音楽の素晴らしさを説かれて、そうだな音楽って凄いんだな素晴らしいなって思っても、だから関ジャニ∞じゃない道を選ぶのも仕方ないことだねなんて絶対に思えないから、こんなこと考えても無駄なんだろうな。
最初は私に音楽の才能がないからわからないんだなって思ってたけど、単純に私が七人関ジャニ∞が好きすぎるからだね。
渇いた花でひなちゃんと過去を歌い、ハダカで横山さんと過去から今を歌い、Answerで三人で未来を歌って、次のステージに向かうすばるさんの軌跡は、あまりにも美しすぎて本当に嫌い。
すばるさんは、これからも一生神様に愛されていくに違いない。でもそんな神様なんかより、関ジャニ∞のメンバーのほうが100億万倍すばるさんのことを愛してくれるのにと思うからめちゃくちゃむかつくよ!
でもさ、むかつけばむかつくほど、絶対に幸せになってほしいって思ってしまうんだよ。何いってるかわかんないけど、絶対にすばるさんには自分のしたいことをやって世界一幸せになってほしいと思ってる。絶え間なくそれを祈れるかはわからないけど、絶対に最後にはそれを願ってしまうと思う。悔しいな!でも本当に好きなんだ!だから居なくなってほしくないんだよ~!いっぱい矛盾してるけどぜんぶ本当だから苦しい!
ねえ~本当にいなくなるの?いやだなあ 寂しい。どうしたらいいんだろうね。わかんないなあ。
こんな話を聞いてくれてありがとう~。
明日も明後日も悲しいけど、関ジャニ∞を好きになってよかったよ。