そして日曜の朝が来た
※この記事はGR8ESTコンのネタバレを含みます※
わたしは以前、『金曜ねむれば土曜日がくる』という記事を書きました。
これは、すばるさんが退所を表明した翌日に書いたものです。
今回は、そのつづき。
GR8ESTコンの大阪公演に行ってきた私の話をしようと思います。
まず、前回のブログからGR8ESTコンまでの間の話をします。
心を失いました。
いや、厨ニ病じゃなくてね?!
4月15日以降、しばらくは公共交通機関で涙を流したりカラオケで青春のすべてを4回歌って4回とも号泣したり敢えてエモい曲を聞くことで心をぶん殴るなどして情緒不安定ライフを謳歌していた私ですが、あるときからまったく悲しみを感じなくなってしまって、ラストの関ジャムさえぜんぜん涙が出ない始末でした。
わざわざ目覚ましかけてまで関西の関ジャム(AM02:00~)をリアルタイムで見たのに!バチバチ戦闘力高いレンジャー日記書いてた亮ちゃんがいざ別れの場に立つと泣いてたのが愛しくて切なくてそのことには泣いたけど!
それから「すばるさんが居なくなるとは…?そんな世界ある?」と心が突然すっとぼけ始め、ぜんっぜん悲しくない日々が続きました。眼の前に絶対悲しいはずのことがあるのに悲しくない。まっすぐ物事を見れていない、まずい状況だとはわかっていたけど、どうしようもなかった。
だって、もうすばるさんがいる番組を見ても普通におもしろいとしか思えなかったし、前は聞くと悲しかった関ジャニ∞の曲を聞いてもいい曲だなあとしか感じなかった。
あまりにも何も感じないから「も、もしかして私は関ジャニ∞がそんなに好きじゃなかったのでは?!」と怖くなって自分のツイッターを見たら、好きである旨を記述する頭がおかしいツイートが多数あったのでその疑いはすぐ晴れました。やっててよかったツイッター。
突然すっとぼけ始め、と書いたけど、今思うとちゃんときっかけはあったんですよね。
テレ東音楽祭(ライフとキングオブ男のやつ)をリアルタイムで見てたんですけど、ぜんぜん見れなかったんですよね!「アッ!辛いことだ!無理!バイバイ!!」って感じになっちゃって!その辺りで心に蓋がされたんだと思います。そのときはわからなかったけど。ただわけもわからず毎日お腹が痛かった。
とにかく、わたしはこの”悲しいはずなのに悲しくない”という状態がめちゃくちゃ怖くて、なんとか悲しみを取り戻そうと試行錯誤してたんですけど、何したってマジで悲しくないんですよね!逆に無敵になったのかと思った!(?)
その日々に変化をもたらしたのは、GR8ESTの北海道公演。
といっても私は参戦してなくて、ツイッターでみんなの感想をぼーっと見てただけ。
その日のうちは、みんなが嬉しそうに本当に良かったと言っているのを見て私まで嬉しくて、心配することなんてなにもないんだな、6人についていけばいいんだなって安心して。「早く私もライブに行きたいな~」とワクワクしながら寝たんですけど、次の日から急激に自分が取り残されたみたいな気持ちになってしまった。
私はなんにも理解してないし、受け入れられてもいないのに、渋谷すばるが居ない世界がどんどん始まって、みんなにとって当たり前になっていく。その自分と世の中の時差、みたいなものが恐ろしくて、そしてそれについていけない自分はファンとしてすごくダメな気がして、とても落ち込んでました。自分が人類最後の立ち直れない女になるのかと思って怖かった。
私は極端な人間なので、こうなったらツイッターもブログも何もかも全部消して渋谷すばるが居ないことを受け入れてるこの世界から逃げよう!と思ってたんですけど、やっぱり極端な人間なのでそのうち「いや……こんなに苦しんでるなんてめっちゃファンじゃん…偉い…(?)」という境地に達したので今も元気にツイッターをしているしこのようにブログも書いてます。
北海道公演での落ち込みから回復した後は、もう無理に悲しくなろうとするのはやめて、素直に見たいものを見て聞きたいものを聞いてました。見れるものを見て聞けるものを聞いてた、のほうが正しいかもしれない。名古屋公演でまた時差に落ち込んだりもした。
この、北海道公演から自分が参加する大阪公演までの間は不思議な時間だったなあ。悲しいのから逃げたり、逆に無理に悲しもうとしたりしてわけがわからなくなった自分の気持ちを、元の場所まで戻すための時間だったと思う。田舎での療養みたいな…。
無理に悲しむのをやめようと思ったら一転、もうグループでやってるジャニ勉とかジャムとか全然見れなくなった。ひたすら夜ふかしと村マヨばっかり見てた。村上さんしか出てないからすばるさんの不在を感じないと思いきや、そうしてると不思議とすばるさんについて考えることが、少しずつ自然にできるようになっていった。
そうしているうちに、大阪公演の日がやって来ました。
私が入ったのは8/26(日)の大阪最終日です。
私がこの日、なにを感じるのか、不安な気持ちがあった。六人の関ジャニ∞を見ることで、悲しくなるのか、嬉しくなるのか、前向きになれるのか、それとも落ち込むのか、どうなるのかわからなかったから。
でも、全部だった。
悲しくて、嬉しくて、前向きにもなったし落ち込みもした。そんな時間だった。
OP映像まではいつもどおり、ライブにワクワクした。
でも、一曲目が始まった瞬間にボロ泣きしてしまった。すばるさんが居なくて悲しかったからじゃなく、ただ、六人がそこに並んで曲を始めた瞬間に、本当に六人は六人で進んでいくんだって、今まで関ジャニ∞が発信してきたどの言葉よりもハッキリと理解して、それで涙が出た。あんなに泣けないことに悩んでたのが嘘みたいに、何も考えてないのに涙だけがボロボロ流れていった。
そこにあった気持ちは「悲しい」ではなかったけど、「嬉しい」でもなかった。一番近いのは、たぶん「すごい」だと思う。六人は、こんな辛いことがあって、美しいばかりじゃない感情を伴いながら、それでもこんな風にアイドルとして前に進んでいること。こんなこというと大げさと思われるかもしれないけど、奇跡を見た、みたいな感覚だった。それからずっと泣いていた。歯を食いしばって目をぎゅーっとしてペンライトを振ってたから、自分で自分をガラガラであやしてるみたいになってたし、泣きすぎて化粧が全部取れて目が痛すぎて死ぬかと思った。それで泣き止んだ。
一曲目の応答セヨやNOROSHIは、すばるさんの記憶がまだ近くにありすぎてとても辛かった。記憶の中にあるすばるさんの声が遠くで聞こえる気がするけど、実際には絶対すばるさんの声は聞こえなくて、でも代わりに聞こえてくる声も一人残らず私の大好きな人の声だったから悲しくもなれずにただ苦しかった。
何度も何度も画面割の数を数えた。何度もすばるさんの声が聞こえない、と思った。大好きな曲の大好きなすばるさんのパートは、違う大好きな人が全部歌ってた。私が関ジャニ∞を好きになった当初に大好きだったER2が流れて、まさか今更生で聞けるなんて思わなくて嬉しくて、でも私が関ジャニ∞を好きになったときにいたすばるさんはどこにも居なかった。
そういうことを、何度も何度も確認した。これは、そのためのライブだと思ったから。だからもう、すっごく疲れた。身体じゃなくて気持ちがへとへとになった。もちろんすごく楽しかったけど、今までのライブとはぜんぜん違った。これを、すぐもう一回入りたいとは思えなかった。今までで一番つらくて(そもそもライブで辛いなんて思ったことないし)、だけど、今まででいちばん、「関ジャニ∞をずっと応援していきたい」「ずっと好きでいたい」と思った。
ライブが終わったあとのこと。すなわちいま。
すばるさんが居なくなった、と思った。七月からずっと居なかったんだけど、私の世界からも本当に居なくなった。ライブで聞いた曲をiPhoneで聞いたらすばるさんの声がちゃんと聞こえて、余計にすばるさんが居ないなと思った。ジャニ勉を見たら、すばるさんが面白すぎてビックリした。歌が上手いだけじゃなくて、面白いだけじゃなくて、かっこいいだけじゃなくて、可愛いだけじゃなくて、顔がいいだけじゃなくて、すばるさんは全部を持っていたから、やっぱり大好きだと思った。大好きなすばるさんがこれからずっと居ないから、悲しいと思って泣いた。うん、やっと泣けるようになったよ。
すっぱりさっくり、7人の関ジャニ∞を好きなまま、6人の関ジャニ∞を応援します!とは割り切れなくて。6人の関ジャニ∞を好きになればなるほど、すばるさんのことを忘れてしまうような気がして怖くなる。これからどんどんすばるさんの居ない曲が増えていくし、きっとわたしはそれも好きになっていっては、すばるさんが居ないのに……と寂しくなったりするんだろう。
でも、それでいいと思うようにした。ライブに行って、MCを聞いて、誰よりも関ジャニ∞がそれを許してくれている、と感じたから。私は6人を応援したいし、でも7人が好きで名残惜しくてたまに情緒不安定になるひとなんだってことでいい。
だって、すばるさんがどれだけ優しくて、おもしろくて、かわいくて、かっこいいか知ってて、その人が居なくなって、寂しくないわけないんだから。むしろ、世界、よくがんばってる。よく存続してる。
さてさて!こんな話を聞いてくれてありがとう~!
長くなかった?私は長かった……。
これを書くのにめっちゃ時間かかったし何回か泣いた……。
自宅じゃなかったら通報されるところだった。
今度はきっと、楽しい話を書くね。ばいばい!